トラウマって何のこと

外来語のなかで一番広く使われている言葉は、「ストレス」であるといわれます。このところ、ストレスの他にトラウマという言葉もよく使われるようになりました。この言葉が日本で有名になったのは、神戸の震災やサリン事件等の精神的後遺症が問題になった際に、外傷後ストレス障害(ポストトラウマティックストレスディスオーダー、PTSD)という診断名が語られるようになってからです。 

 そもそもPTSDはベトナム戦争からの帰還兵にみられた症状の観察と、いささかの政治的背景もあって1980年にアメリカで公にされた「診断と統計のためのマニュアル第3版(DSM-III)」に採用された診断名なのです。ちょっと専門的になるのですが、DSM-IIIでは、病因論や疾患単位論などの議論は、いわば棚上げにされました。精神疾患の病因はよくわかっていないものが多く、また一つの疾患の輪郭も不明確だからです。

 ところがPTSDのみは、その定義のなかに「外傷的事件」という「病因」が含まれており、DSM-IIIの中で鬼子のような存在であることは当初から問題になっていました。そのことはともかく、主な症状としては、その事件を思い出したくないのに思い出してしまう(フラッシュバック)、悪夢にうなされる、神経過敏、心的外傷を受けた際と類似あるいは同一の状況を避ける、等があげられます。「外傷的事件」の定義は「生命を脅かされるかそれを目撃すること」となっています。しかし、このような定義にあてはまらない「事件」でもトラウマになる可能性があり、PTSDにあてはまらないトラウマ反応もあるといわれています。

 上に述べたトラウマ反応は、1回か多くても数回の「外傷的事件」によるものであり、児童虐待のように、「外傷的事件」が長期間、反復された結果としておこる精神的後遺症に関しては、少なくとも外傷を病因論の中心に据えた診断名は定まっていません。いくつか提唱されている診断名の中で、最も有名なものはハーマンによる複雑性外傷後ストレス障害ですが、DSM-IIIや1994年に改訂された第4版のDSM-IV にもこれは採用されていません。今後、ハーマンの考え方はDSMにとりいれられていく可能性があります。

 ハーマンは、複雑性外傷後ストレス障害の中核は「無力化と他者からの離断」であるといっています。いわゆる多重人格(解離性人格障害)や対人関係の極端な不安定さを特徴とする境界性人格障害、またアルコール依存症や薬物依存症などの嗜癖行動を示す人には、成長期に反復された外傷体験をもつ人が多いようです。   

加藤 信
(松本市 かとうメンタルクリニック)