高度な人間業をこなしている喉の話

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる。」今回は、ふだんあまり意識しないで高度な人間業をこなしている喉のお話しです。


 喉の働きは、大きく三つに分けられます。呼吸通路の制御・摂食嚥下時の下気道保護・発声です。弱肉強食の世界に生きる大半の動物種は生存競争のため頑強な身体とそれを支える呼吸・摂食機能の強化が必須でした。人間以外の動物種の喉は、発声機能よりも、大量のエネルギーを筋肉に注ぎ込むため呼吸・摂食機能が優先され、空気と食べ物がそれぞれに通過しやすい喉元の構造になっています。喉元の嚥下困難などどこ吹く風です。


 一方、社会的存在として生きざるを得ない人間にとって最も優先すべき喉の機能は、音声言語を生成する発声気管としての働きです。生存に必要な呼吸・摂食機能を多少犠牲にしても音声言語に因るコミュニケーションの進化・発達が人類の繁栄のために優先されたのでしょう。人類の特徴は、道具と言葉が使えるこだと言われています。この道具と言葉のおかげで、人類は哺乳類としては体長の割に寿命が長く、地球上の様々な環境で効率のよい安定した栄養摂取が可能となり地上での大繁殖に至りました。

 


音声言語コミュニケーションにおける「イ」音は、最も人間らしい声

 

  人類が音声言語を獲得するための身体的条件として、口腔・咽頭・喉頭にある発声器官の形状及びその運動が重要になります。すなわち、声帯を囲む喉頭の位置が他の哺乳類に較べて垂直で低い位置にあり咽頭での声道を広く確保できたことに加え、口腔内では水平の声道を丸みのある舌が様々に変形し咽頭腔と口腔をそれぞれ広げたり狭めたりして巧みな母音の構音機能を果たしています。

 

例えば、母音の「イ」は、人間ではどの言語でも発音されているようですが、類人猿のチンパンジーには発音出来ない音声のようです。母音の「イ」はスーパー母音と呼ばれ、アイウエオの5母音の中で最も明瞭で識別しやすい母音音声だそうです。音声言語コミュニケーションにける「イ」音は、最も人間らしい声と言えます。写真撮影のときなどに、歯を見せて「ニー」と発音すると笑顔の表情になります。笑顔も非言語的コミュニケーションとして人類に特徴的なものです。

 


人類発展の陰で犠牲になった健康状態

 

 「イ」音の発声時の声道は、舌が変形して口腔前方が狭くなり、口腔後方から咽頭にかけての空間が広くなっています。この声道形状を実現するために、顎が後退し、喉頭が低位置になる必要があります。こうして人類はスーパー母音「イ」を獲得しましたが、その陰で個体の健康を多少犠牲にしてきました。


 人類発展の陰で犠牲になった健康状態とは、睡眠時無呼吸症候群と誤嚥性肺炎です。軟らかく栄養価の高い食事を摂る現代人の顎はますます小さく後退し、相対的に丸く大きくなった舌が睡眠時に気道を閉塞し睡眠時無呼吸症候群を引き起こします。近年、イビキを余りかかないとされた乳児や若い女性にまで睡眠時無呼吸症候群が広まっています。また、喉頭が低位置にるためムセ易く、摂食嚥下障害を持つ高齢者の大半は誤嚥性肺炎で亡くなっています。


 このように、イイ声と強い体は、両者を同時に満たすことの出来ないトレードオフの関係になっていて、人類はイイ声の代償として睡眠時無呼吸症候群や誤嚥性肺炎を甘受したのでしょう。

三田 温
(茅野市 三田耳鼻咽喉科医院)